全州へ行こうよ!韓国の全羅北道(チョルラブクド)・全州市(チョンジュシ)の旅行情報をご案内。韓国を代表する食の都、全州・全羅北道の見どころ、グルメ、交通・宿泊情報などをご紹介します。

見覚えのある屋根のかたち。ふと「ここは日本?」と錯覚しそうになるほどで
懐かしい風景が残っていることに驚く。
金堤に残る日本人の痕跡を訪ねる旅はいかがでしょう?

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金堤市は「韓国で唯一地平線の見える場所」というキャッチコピーで売り出し中。
穀倉地帯で知られるこの地には、かつて大勢の日本人が入植して農地経営を行った。土地を整備、ダムを作り河川を整備して農地を作り上げ、生産された米を日本に輸出するためだ。こうした歴史的背景から金堤市には、住宅、農業事務所、商店などの建築物をはじめ、貯水池や灌漑用水路など、日本人が韓国を統治していた頃の形跡がたくさん残っているのだ。

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当時、金堤一帯を取り仕切っていた大農場の1つが小説「アリラン」にも登場する橋本農場だ。1916年、橋本巽という人物が当時の最新の技術をもって荒れた土地を整備し、遠浅の海を干拓して農場経営を行った。
その規模は小作人550人、所有地は350町歩(350ha)、市有地90町歩(90 ha)であったといわれる。

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この西洋建築スタイルの建物は橋本農場の事務所として1926年に建設された。
日本人が引き上げたあとは病院や農協事務所として使用されたが、2003年に文化財に指定され、外部も内部も当時の姿に近い形に復元された。

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4畳ほどもある金庫の入口だが、もちろん今は何も入っていない。

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敷地内のカボチャ畑の中には橋本巽を讃える石碑があった。
正面には『橋本巽翁顕徳紀念碑』、後ろに回ってみると昭和16年に2人の韓国人によって建てられたことが読み取れた。

<動画>
http://www.youtube.com/watch?v=UAf8Bil8qnQ

事務所の建物の隣には質素だがひと目で日本家屋とわかる民家があった。
倉庫兼、使用人の宿舎だったといわれている。
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室内は壁や障子がきれいに修復されていたが、敷居から一段下がって張られた床を見ると、当時はここに畳が敷き詰められていたことがわかる。

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橋本農場のような大規模農場で働く小作人たちが住んでいた長屋が現在も残っているというので行ってみた。(※)こちらの長屋は一般人の住居として使用されているため公開はされていません。

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お住まいのハルモニにお願いして家の中を見せてもらった。
長屋時代には居間ひとつだったのを建て増しし、壁と屋根を延長している。
ひと目見ただけでは日本家屋らしさは感じられないが、広い土間部分はあとから作られ、もとは屋外だったところ。そう聞いてよく見ると、たしかにハルモニが腰掛けているのは縁側であったことがわかる。

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古い建物ながら住み心地は悪くなさそうだったが、大人になった子ども達は新しいアパートに引っ越してしまったという。

覚えている日本語を使ってくれたり、身体のあちこちが痛み病院通いが欠かせないと語るハルモニは少し寂しげに見えた。

金堤に残る日本人コミュニティの面影(1)旧橋本農場事務所