全州へ行こうよ!韓国の全羅北道(チョルラブクド)・全州市(チョンジュシ)の旅行情報をご案内。韓国を代表する食の都、全州・全羅北道の見どころ、グルメ、交通・宿泊情報などをご紹介します。

日本統治時代に建てられた独特の建築様式をもった邸宅。画家、音楽家、書家など文化人の交流の場として、戦後は政府要人の宿泊所や迎賓館としても使われた。最近修復され、100年ぶりに一般公開されるようになった。

白楽中の死後、その親孝行を世に広く知らせるために彼の号「忍斎」から一字を取って「学忍堂」と名付けられた。


【学忍堂の由来】
水原白氏のペク・シフン(白時興)が全州に定住したのは1700年代、肅宗の時代。
以後、彼の子孫は6代にわたり全州に居を構えたが、子孫のペク・ジンスは景福宮(ソウル)創建時に巨額の寄付をおさめた功により、高宗(李氏朝鮮の第26代国王)から豪邸を建てる許しを得る。
そのペク・ジンスの 6男である白楽中(1883-1929)が長男の誕生を記念して建てたのが学忍堂だ。
(1976年全羅北道民俗資料第8号指定)


白楽中は高宗皇帝の側近だった次兄(白南信)と相談し、皇帝の許可を得て宮廷の一流木工の支援を受けて学忍堂を建てた。
4280名の建築技術者が動員され、今の北朝鮮と江原道などで伐採した木材を使用し2年6ヶ月の歳月をかけて完成した。工事費用としては米4000俵といわれる。


白楽中の死で、息子ペク・ナムヒョク(1981年没)が日本留学を中断して帰国。1930年以降は父親の遺志を継ぎ、学忍堂を芸術家たちの親交の場として提供した。

1945年、日本統治終了後は迎賓館として、また金九(キム・ク)など政府要人たちの宿泊所として使われたほか、朝鮮動乱時に共産党に不法占拠されるなど常に歴史の舞台となってきた。

宮中の建築様式が民間住宅に導入された例として注目され、100年ぶりに公開されるようになり、一部は宿泊施設としても利用が可能になった。


2000坪あったとされる敷地は売却などによって67坪に縮小されているが、創建当時の贅沢さの名残を各所に見ることができる。
庭園の石段を降りると石組みのトンネルがあり泉に通じている。真夏には冷蔵庫としても利用されていたという。

私が注目したのはガラスの引き戸の内側に障子戸があり、居室を囲むように廊下が巡らされている点だ。これは韓国の建物には見られない特徴で、明らかに日本建築の影響を受けていると思われる。
屋根には赤煉瓦で造られたアーチ型の窓があり、こちらは西洋建築の影響が見られ、「韓・和・洋」の折衷建築として見ても面白い。

学忍堂(학인당=ハギンダン)